かすみがうら博士 答えと解説

【問1】㋑ 富士山 

江戸(えど)時代の1707(宝永4)年、富士山の大噴(ふん)火により大量の火山灰が関東一円にも降り注ぎ、霞ヶ浦の底にも火山灰による厚い層ができた。その76年後の1783(天明3)年には浅間山が噴火し、その火山灰も霞ヶ浦に飛んで来て湖底に積もっている。富士山は、それ以降噴火していないが、活火山である限り噴火の可能性はある。日本は火山大国であるため、富士山以外にも活火山の噴火に対する調査や予測が進められている。安全な暮らしを守るため、私たちも常に関心を持ちつづけていかなければいけない。ちなみに筑波山は火山ではなく、地下のマグマにより隆起(りゅうき)した地層が地表に現れた山。どのような仕組みで山ができるのか、ぜひ調べてみよう。

【問2】㋒ みずら

土浦市上坂田に残る武者塚(むしゃづか)古墳(こふん)は、7世紀ごろに造られたとみられる古墳だが、のちに農地として耕作されたために、ほぼ平になってしまっている。発掘(はっくつ)当時は円墳(えんふん)と見られていたが、調査の結果、方墳の可能性が高いことがわかってきた。ヤジリ、タチ(大刀)、玉類などの出土品といっしょに、人骨、髪(かみ)やヒゲなどが発見された。特に髪を結った「みずら(美豆良)」の出土は全国で初めてであり、古墳時代の髪型を知る大切な資料となっている。現地には展示施設(てんじしせつ)があり、中の窓ごしに古墳の石室がのぞける。くわしくは「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」(土浦市)などに行って、ぜひ調べてみよう。

【問3】㋑  高瀬船

まだ鉄道や自動車のない江戸時代は、交通や運輸を霞ヶ浦・利根川等の水運に頼(たよ)ることが多く、主に高瀬船が江戸との行き来に利用されていた。霞ヶ浦方面から江戸へは、米やしょうゆ、酒、まき、炭などを運び、江戸からは古着や砂糖、雑貨など多くの荷物を高瀬船で運んでいた。馬1頭では米を2俵(ひょう)しか運べないところを、高瀬船1そうで1000俵近く積める船もあり、運賃も安上がりだったため、高瀬船での往来は欠かせないものになっていった。高瀬船は底が平で、水につかる船体部分(きっ水)が浅かったので、あまり深くない川の行き来も、岸に近いところでも座礁(ざしょう)することが少なく、比かく的安全で運航しやすかった。高瀬船がどのような造りであったのか、ぜひ調べてみよう。